Profile

プロフィール

上松正和(うえまつまさかず)

誕生日:1987年6月18日
血液型:A型
趣味:料理、フットサル、医療

1987年~
  • 福岡県福岡市生まれ
  • 福岡市立那珂南小学校
  • 福岡市立三筑中学校
  • 福岡県立筑紫丘高校
2014年~
  • 九州大学医学部医学科 卒業
  • 仙台厚生病院・気仙沼市立病院・岩手県立磐井病院 (初期研修)
  • 岩手県立磐井病院 (救急科・放射線科)
  • 国立がん研究センター中央病院 (放射線治療科)
  • 東京大学病院 助教 (放射線科)
2022年~
  • 前職を辞して参議院選挙全国比例公認(国民民主党)
上松正和
Episode

エピソード

幼少時代

3人兄弟の末っ子として生まれる。兄2人が食べ物のことでよく喧嘩していたため、どちらが勝つかよく見極めてから喧嘩に参加し、すくすくと体重を増加させていた。

また父も兄2人も母親の手伝いをあまりしないため、自分がその役割を担うことが多かったため、おおむね家事はできるようになった。

幼少期の上松正和
小〜中学校時代

早熟で小学校の頃から身長が170cmほどになり、顔も完成してしまったため、小学校の卒業式でジャケットを着てネクタイを締めて登校したら保護者席に案内されてしまった。

早くから体格が完成していたためキャプテンなどを務めることが多く、中学校では生徒会長をすることになった。この時の公約はその時の総理大臣だった小泉純一郎氏のモノマネをしながら「三位一体の改革を!」と訴えていたが、実際にしたことは中学校の行事である年に3回の「春日公園」への遠足を「モーモーランド」へ変更したことくらいだった。搾りたての牛乳で作ったアイスクリームが美味しかったことはよく覚えている。

小中学生時代の上松正和
高校時代

筑紫丘高校理数科を受験したが失敗。高校に張り出された紙に自分の番号が無かったので落胆して帰ろうとしていたら「普通科の方に番号あるよ!」と一緒に受験した友人が呼び止めてくれた。一度発表場所に戻り普通科に番号があることを確認し、合格を知った。しかし、その友人は理数科も普通科も落ちていたため「ありがとう」と静かに声をかけ、別れを告げることになった。

高校ではサッカー部に所属し、公式戦でフォワードからディフェンダーまで相手チームに合わせる形でこなした結果、チーム最多得点と最多オウンゴールを記録した。この部員たちの結婚式には毎回出席している。

高校時代の上松正和
高校の部員たち(ピントがずれてしまっているが一番左で股を開いているのが上松)
大学時代

九州大学医学部に入学。友人たちに恵まれ、無事に進級できたが、休暇の時にふとインドに行きたいと思い、友人たちを誘うも誰も一緒に行ってくれず1人旅に。

その後もイスラエルに行ったりペルーに行ったりする時も友人を誘うも、誰も一緒に行ってくれず、「一緒に進級することと、一緒に危険を共にすることは別」と悟り、一人旅を続けることに。この頃には独りでの寂しさが消え、他人に話しかけられるようになっていた。アメリカのクリーブランドクリニックに臓器移植を学びに行った時もこの経験が生かされた。

大学時代の上松正和
研修医・救急科時代

医師となり、様々な病院で研修させて頂いた。特に最後の岩手県立磐井病院では救急科も追加で1年研修させて頂いた。

東日本大震災でも活躍された先輩医師たちから色々教わり、自分もDMAT(災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム)として訓練を受け、熊本地震では岩手県からDMATチームとして派遣され、リーダーを務めた。この時に医師だけではなく、看護師、薬剤師、事務の活躍があってこそ多くの人を救うことができることを体感した。

研修医・救急科時代の上松正和
国立がん研究センター中央病院時代

本格的に放射線治療科医としての訓練を受けた。自分の放射線治療の技術が向上すると共に、病院に泊まりながら重症患者さんの治療にもあたった。ここで、詐欺医療に引っかかり重症化する患者さんや、間違った健康情報に振り回されて人生を楽しめなくなっている患者さんに多く出会うことになった。

ただ、医師1人あたりの患者さんが多すぎて、昼ごはんが夕方の17時になることもザラで、1人1人に丁寧に説明することが出来なかったため、最後の退職間際で時間ができた頃に「YouTubeクリニック」というYouTubeチャンネルを立ち上げ、ちゃんとした健康情報に触れて欲しいという思いを込めて毎日動画を上げ続けて、3万人を超えるチャンネルとなった。

上松正和のYouTubeチャンネル「YouTubeクリニック」
東京大学時代

放射線治療専門医を取得し、助教というポジションになり、安定した。診療に来た乳がん患者さんの1人が詐欺医療に騙されていることを正直に告白して頂けたことと、がんセンター時代と違い、自分にも時間があったため、直接そのクリニックに行き実態を確かめた。

そのレポートが世に衝撃を持って迎えられ、同じ問題意識を持っていた日本中の医師たちと一緒に「詐欺医療から人々を守るプロジェクト」が立ち上がり、各々の専門家と一緒に詐欺医療の問題共有と対応について話し合いを続けている。

「詐欺医療から人々を守るプロジェクト」